内容がちょっとズレてるかもだけど気にしないでね。
影は、風に揺れる街路樹のそれとは明らかに違っていた。 揺れない。乱れない。ただ、意思を持つかのように、まっすぐ私の指先へと伸びてくる。 喉が凍りつく。 逃げなきゃ、と頭の奥で誰かが叫ぶ。けれど足は、アスファルトに縫い止められたみたいに動かない。 その影は、ゆっくりと私の手の方へ伸びてきた—— 指先に、触れた。 触れたはずなのに、感触はない。ただ、ひやりとした温度だけが、皮膚の内側に染み込んでいく。 「百合」 耳元で、声がした。 振り向いた瞬間、夜風が強く吹き抜ける。白檀の香りが、さっきよりもはっきりと濃くなる。 街灯の下に立っていたのは——美香だった。 制服姿のまま。事故の日と同じ、少しだけ乱れた髪。 けれど、どこも傷ついていない。透けるように淡く、月光に溶けかけている。 「約束、覚えてる?」 スマホが震える。 画面には、さっきと同じ一文。 『百合、約束、忘れてないよね?』 胸の奥に沈めていた記憶が、ゆっくりと浮かび上がる。 あの日。 二人で歩いた帰り道。 白い月を見上げながら、美香は笑って言った。 ——もしどっちかが先に死んだら、絶対に置いていかないでよ。幽霊になってでも会いに来るから。 私は呆れて、「バカだね」って返した。 冗談だった。軽い約束だった。未来を疑わない者同士の、子どもじみた誓い。 「来ちゃった」 美香は困ったように微笑む。 影が、今度ははっきりと私の手を包む。 「迎えに」 その一言で、胸が凍る。 違う。 そんな約束じゃない。 「私は……生きるって約束したの」 声が震える。それでも、目は逸らさない。 「あなたと、これからも一緒に生きるって意味だったの。死ぬ約束なんて、してない」 月明かりの下、美香の輪郭がわずかに揺らぐ。 白檀の香りが、少しずつ薄れていく。 「百合を、一人にしたくなかった」 その言葉に、胸が締めつけられる。 一人にされたのは、私だ。けれど、残された側の寂しさも、きっと彼女には想像できなかったのだろう。 「寂しいよ。でも……」 私は影を握るように、空を掴む。 「それでも、生きる。あなたの分まで。ちゃんと泣いて、ちゃんと笑って、生きる」 静寂。 やがて、美香は小さく息を吐くように笑った。 「そっか」 その声は、もう遠い。 影が、ほどける。 指先の冷たさが消えていく。 「百合なら、そう言うと思った」 月が雲に隠れ、世界が一瞬だけ暗くなる。 白檀の香りは、夜の湿った空気に溶けて消えた。 気づけば、隣の影はなくなっている。 スマホの画面も真っ暗だ。通知履歴には、何も残っていない。 ただ、鼓動だけがやけにうるさい。 私は深く息を吸い込む。 夜風は少し冷たくなっていた。 空を見上げる。 白い月は、さっきと変わらずそこにある。 「月が、きれい……」 今度は、唇を噛まなかった。 返事はない。 それでも、胸の奥で、あの声が微かに響いた気がした。 ——うん。 私は歩き出す。 影は、ひとつだけ。 けれどもう、それが怖いとは思わなかった。