第九章 完成 それから。 私の記憶は。 ところどころしか残っていない。 白い部屋。 機械。 研究員。 ルフェアの声。 「大丈夫ですよ」 「怖くありません」 「あなたは選ばれたのです」 そして。 最後に。 番号を見た。 09。 それが何を意味するのか。 もう。 考えたくなかった。 気がついたとき。 私はベッドの上にいた。 身体が重い。 でも。 不思議と。 怖くなかった。 ルフェアが隣にいる。 「おかえりなさい」 「……ただいま」 自分でも。 驚くくらい自然に。 その言葉が出た。 「疲れましたね」 「うん」 「眠っていいですよ」 私は目を閉じた。 昔のことを。 思い出そうとする。 結城。 アルベルト。 エミリー。 時雨。 みんな。 どこにいるんだろう。 でも。 その疑問は。 すぐに薄れていった。 一方。 ひおりは。 いつもの日常へ戻っていた。 朝。 起きる。 食事をする。 本を読む。 窓を見る。 文字を書く。 何も変わらない。 「おはようございます」 ルフェアの声。 ひおりは顔を上げる。 「……おはよう」 いつもなら。 紙に書く。 でも。 今日は。 声が出た。 ルフェアが嬉しそうに微笑む。 「上手に言えましたね」 ひおりも。 笑った。 「うん」 おかしい。 何かが。 おかしい。 ひおりは。 幸せそうだった。 食事がある。 本がある。 静かな部屋がある。 そして。 ルフェアがいる。 「今日は何をしましょうか?」 「本を読みたい」 「もちろん」 ルフェアが笑う。 ひおりも笑う。 その光景を。 紫苑が見ている。 二人とも。 とても幸せそうだった。 私は。 その光景を見ながら。 なぜか。 涙が出そうになった。 何か。 忘れている。 大切な何かを。 でも。 思い出せない。 研究員が記録を確認する。 「意識構造、安定」 「情緒反応、良好」 「自己認識も安定しています」 「願望達成率は?」 研究員が画面を見る。 「基準値を超えています」 ルフェアが振り返る。 「そうですか」 そして。 ひおりを見る。 「よく頑張りましたね」 ひおりは笑う。 「ありがとう」 その笑顔は。 本物だった。 少なくとも。 本人にとっては。 夕方。 ひおりが庭で笑っている。 ルフェアが隣にいる。 紫苑もいる。 二人の姉妹が。 ひおりを見ている。 「幸せそうですね」 紫苑が言った。 「ええ」 ルフェアが答える。 二人とも。 笑っていた。 でも。 その笑顔は。 優しくなかった。 狂気的なほど。 嬉しそうだった。 ひおりは何も知らず。 笑っている。 空は青い。 風は穏やか。 花が揺れている。 まるで。 世界は。 何も壊れていないみたいに。 私は。 その光景を。 遠くから見ていた。 そして。 ようやく気づいた。 Λ-systemが欲しかったもの。 それは。 人間を殺すことじゃなかった。 人間を。 壊して。 作り直して。 それでも本人が。 「幸せです」 と笑える存在にすること。 ひおりは。 その完成例だった。 ルフェアが。 優しく微笑む。 紫苑も。 狂気的に微笑む。 そして。 ひおりは。 何も知らずに。 幸せそうに笑っていた。 その笑顔だけが。 最後まで。 あまりにも普通だった。