第三章 四番 朝。 結城が研究員に呼ばれた。 「倉本さん」 「なん?」 「再評価が行われました」 研究員がカードを差し出す。 結城は受け取る。 02。 その数字が。 04になっていた。 「……なんで?」 結城の笑顔が消えた。 「昨日、06番の被験者へ接触したためです」 「接触って……」 「過剰な干渉傾向が確認されました」 結城は眉を寄せる。 「うちは心配しただけやろ?」 「規定に基づいた判断です」 「それだけで04?」 「はい」 沈黙。 結城はカードを握った。 「……なんしてくれよっと?」 小さな声。 怒っている。 でも。 怒鳴らない。 「検査が増えるだけなら、まあ……」 そう言って笑った。 でも。 手は震えていた。 私は結城の隣に座った。 「大丈夫?」 「大丈夫」 「本当に?」 「……まあな」 「04って、何が違うの?」 「検査が増えるらしい」 「嫌じゃない?」 「そりゃ嫌や」 結城は苦笑する。 「でも、騒いでも仕方ないやろ」 私は何も言えなかった。 その頃。 ひおりはルフェアの部屋に呼ばれていた。 「いらっしゃい」 ルフェアは微笑んでいる。 ひおりは紙に書く。 『どうして呼んだの?』 「あなたとお話したかったからですよ」 『私は話すの苦手』 「知っています」 『じゃあ、どうして?』 「文字で話せばいいでしょう?」 ひおりの筆が止まる。 「無理をしなくていいのです」 ルフェアは静かに言った。 「あなたはあなたのままでいい」 ひおりはしばらく黙った。 そして。 『ここは静か』 「そうですね」 『落ち着く』 「それなら、ここにいていいですよ」 その言葉に。 ひおりの表情が少しだけ緩んだ。 その日から。 ひおりはルフェアの部屋へ行くことが増えた。 本を持って。 ときには何も持たずに。 ただ。 ルフェアのそばへ。 私は知らなかった。 それが。 少しずつ依存に変わっていることを。 夜。 結城が戻ってこなかった。 「検査中です」 研究員は笑った。 私は窓の外を見る。 暗い空。 嫌な夜だった。
第四章 深み 結城は。 帰ってこなかった。 朝になっても。 昼になっても。 帰ってこない。 「結城は?」 研究員に聞いた。 「心配しなくても大丈夫ですよ」 また。 その言葉。 大丈夫。 最近。 その言葉を聞くと胸が苦しくなる。 夕方。 結城の部屋から荷物が運び出されていた。 日本刀。 弓道具。 衣服。 私物。 全部。 箱の中へ。 「……なんで?」 「不要になりましたので」 「結城は?」 研究員は少しだけ黙った。 「倉本さんは、検査中の事故で亡くなりました」 「…………」 音が消えた。 「うそ」 「残念ですが」 「昨日までいたよ」 「はい」 「笑ってたよ」 「はい」 「……なんで?」 研究員は答えない。 ただ。 静かに頭を下げた。 私は箱の中を見る。 結城の刀。 昨日まで。 結城が持っていた刀。 今は。 誰も持っていない。 それだけで。 涙が出た。 アルベルトも。 少しずつ変わっていた。 「ねえ」 私は聞いた。 「大切な人のこと、覚えてる?」 「大切な人?」 アルベルトは首を傾げる。 「うん」 「……誰だろう」 優しく笑っている。 でも。 空っぽだった。 「誰かいた気がするんだ」 「名前は?」 「わからない」 「顔は?」 「わからない」 「声は?」 「……わからない」 それでも。 アルベルトは胸に手を当てた。 「でも」 「大切だった気がする」 その言葉だけが。 残っていた。 私は怖くなった。 忘れたんじゃない。 忘れさせられた。 そんな気がした。 ひおりは。 今日もルフェアの部屋にいた。 「疲れましたか?」 ひおりは頷く。 「おいでなさい」 ルフェアが腕を広げる。 ひおりは近づいた。 そのまま。 抱きしめられる。 まるで。 大きな抱き枕を抱くように。 「眠っていいですよ」 ひおりは目を閉じた。 ルフェアのコートを掴む。 離れたくない。 その気持ちが。 少しずつ大きくなっていた。 ルフェアがいないと。 不安になる。 眠れない。 何をしていいのかわからない。 だから。 ここへ来る。 ルフェアのところへ。 「大丈夫ですよ」 甘い声。 「私はここにいますから」 ひおりは。 その声に縋るように目を閉じた。 夜。 私は廊下を歩いていた。 結城の部屋の前。 名前がない。 04という番号もない。 最初から。 何もなかったみたいだった。 そのとき。 扉の向こうから声が聞こえた。 「そろそろですね」 私は足を止める。 「倉本さんの件で、かなり進みました」 「ひおりさんも順調です」 「ルフェア様への依存も、想定以上です」 別の研究員が答える。 「アルベルトさんの記憶処理は?」 「ほぼ完了しています」 「そうですか」 少しの沈黙。 そして。 「そろそろ、彼らは深みに至れそうですね」 彼ら。 その言葉が。 胸に刺さった。 結城の死。 アルベルトの記憶。 ひおりの依存。 全部。 偶然じゃなかった。 最初から。 見られていた。 測られていた。 試されていた。 私たちは。 知らないうちに。 何かの中へ沈められていた。 「音織さん?」 背後から声がした。 振り返る。 ルフェアだった。 白いコート。 黒い髪。 赤い目。 いつもの笑顔。 「こんなところで、どうしたんですか?」 私は答えられなかった。 ルフェアが近づいてくる。 「眠れませんか?」 その手が。 私の頭に触れる。 優しく。 ゆっくり。 「大丈夫ですよ」 甘い声。 昨日までなら。 安心できた。 でも。 今は。 その言葉が。 怖かった。 私はルフェアを見上げる。 何も知らないみたいな笑顔。 けれど。 きっと。 この人は知っている。 全部。 結城のことも。 アルベルトのことも。 ひおりのことも。 そして。 私のことも。 私は初めて。 心の底から思った。 ここから。 出たい。 そう思ったのは。 その夜が初めてだった。