題材「WW2で誰も勝てなかったら」 この世界では史実と異なりイギリスがロンドン海軍軍縮条約などアメリカ主導のワシントン体制に反発し再び建艦競争が熱を帯び、イギリスは膨大な債務と予算に圧迫され、アメリカは造船業がカルテル化したことが露呈し反独占資本闘争が激化。結果としてウォール街の危機はイギリスのシティで二次的な被害を巻き起こし恐慌はさらに拡大。イギリスの金融が崩壊したことで英連邦諸国は本国を見捨ててアメリカとの協調に動く。しかしながらアメリカは大企業批判と過激な改革を求める声の加速によりヒューイ・ロングが大統領に当選。世界屈指の民主社会主義国となる一方で大資本家はカリフォルニアなどを除くアメリカから逃亡、歳出は増大し建艦競争時の多数の艦艇が南米・南欧諸国に安値で売却され、サンディーノ戦争に対する懸念から徹底的な不干渉政策を打ち出し中南米では独自勢力が発達していく。この不干渉政策で最も得をしたといえる日本は漁夫の利を得たタイと同盟を締結しカナダ・オーストラリア・オランダ・中国と対峙する。結局開戦直前に旧英連邦諸国は経済的にはアメリカ、政治的にはイギリスと連携した。 一方の欧州ではフランスが孤立化しソ連に急速に接近。この結果スペイン内戦ではフランスが積極的にカタルーニャから支援を送ったことで共和派が勝利、ドイツを東西から挟み込む反ファシズム人民戦線が構築されるわけだが、アメリカの艦艇を取り込み大規模化に成功したイタリアによる徹底的な妨害を受ける。またこうした状況下においてドイツとポーランドは連携を深め、戦争勃発時にはドイツが西部方面、ポーランドが東部方面に対処。しかしポーランドは流石のソ連軍に圧倒されワルシャワまでが陥落、独領東プロイセンまで浸透されてしまい政府陣も多くが瓦解してしまう。ドイツはフランスにおいて協力政府設立まではできたがピレネー越えに苦戦していたため、あくまでも戦線の維持とスペインの孤立化による攻勢能力の無力化を行う方向に転換し、イタリアのアルピーニが同地の防衛を担当。ドイツ軍主力は東方へ転身しドニエプルラインまで進撃することに成功、この際にソ連軍多数はルーマニアとの連携で包囲殲滅されておりソ連は防衛主体の構図を強いられた。 ソ連が進撃を食い止められなかったのにはいくつかの理由があった。まず、スペイン内戦後のスペイン軍の教練役としてやフランスの防衛ライン守備に義勇軍が多数派遣されていたこと、そして日本の存在であった。このとき日本はアメリカの支援がない中国に対し優位に立ち回っており、既に山西軍閥や広西軍閥は厭戦的になっていた。当然そうなると中国共産党やモンゴルは危機的状況に陥るわけであるからソ連は東方に威嚇目的や中国の後方支援で多数の人員を割いていたのである。ノモンハン事件などで日本における北進論は潰えていたものの、ドイツの圧力により日ソ中立条約は締結できずにいたため満州国境にも多数、日本海に一艦隊が配備されていたのもソ連の日本に対する恐れに拍車をかけた。結果として西側からの進撃を許すこととなったのだが。 現状ドニエプルラインで双方の攻勢限界が来たかに見えたが、ドイツは更なる進撃を軍に要請。しかしドイツ軍にはバルカンのレジスタンス制圧で余力があまり残っておらず、代わりに同盟国に派兵要請をしたためドイツに対する信頼度が低下。そしてドイツ・ソ連両国はやがて兵員を揃え攻勢を始めるが、ソ連はドイツが通商破壊体制を整えたために旧英連邦諸国などからの支援を受けられず(アメリカに関してはロング政権崩壊後も高福祉化が継続していたため旧式装備は多く送ることはできたが妨害はされた)兵員はいても装備がとにかく足りないという状況が史実より深刻化し、またドイツはスペイン包囲時の教訓からギリシャやパルチザンを孤立化させ爆撃を主体にし直接的な進撃は行わなかったため兵員・装備消耗が少なかったことによりこの戦役はドイツが辛勝、軍集団を改編しモスクワを集中的に攻撃・占領したことでスターリン派閥は崩壊し戦争全体での勝利も確実かに思われた。 しかし、ドイツはここまででも相当な負担を国防軍に強いている一方、親衛隊もかなりの発言力を有するまでとなり、さらにイタリアなど同盟国は独自の改革を成功させたことにより別にファシズム要らなくねとなりドイツから次第に距離を置き始めた。戦後処理の段階でドイツ国内は徹底的な民族浄化と理想郷建設を謳う理想主義派とそこまでする余力はないから仮統治とし内政・軍需をどうにかすべきだという現実主義派に分断し政治状況が混乱。その中で名目上は同盟国であるにもかかわらずドイツによる軍政を受けているポーランドでポーランド人兵士主体の大規模反乱が発生するが政府はこの対応に失敗。政府に失望した国防軍は親衛隊との間接的な対決構図ともなるクーデターを決行し、この試みは見事に成功。ヒトラーはどこかへと亡命、親衛隊はベルギーやセルビアへと逃亡。双方の頭がなくなるに等しい状況となった独ソ両国は戦争を続ける能力もなく、ポーランドも交えた講和条約で終戦した。 なお、フランスやイタリアもわざわざ枢軸に留まるようなことはせず独自の陣営を形成したため枢軸国は完全に分裂した。 戦後は軍事政府となったドイツが暫定的に率いる新体制が発足したが、ここに加盟したベルギーがフランスと国境をめぐり紛争となり、独仏間での対立が再燃化している。ポーランドは領土が縮小されながらも存続した一方で二大国に挟まれる状況は変わっておらずポーランド自体も急速に軍国化している。その隣のソ連であるが、長引いた戦争とドイツ兵の影響により独自のナショナリズムが形成されバルト地域やウクライナが自立化、戦後復興が途上のソ連に対して依然優位な状態で休戦している。またアジアでは日本が辛くも日中戦争に勝利するが、これは地方軍閥の自立化を招き、汪兆銘政権と地方軍閥間での意見の相違から第二次日中戦争に発展する可能性が指摘されている。なお国民党は中国から西に逃れる最中でビルマの独立運動に関わり、国民党系では初となる東南アジア国家を建設した。また日本は南部において完全な漁夫となりインドネシアまでを掌握したが、ポルトガルの便乗、アチェ独立戦争、西パプア戦争などで多大な出血を強いられ、しばしの休戦期間を設けているところである。あと普通にベトナム共産党が生きてる。 他の地域に目を向けてみると、まず一番影響が大きかったのは中南米であるとわかる。アメリカの不干渉政策は米系企業の現地国家による国有化を加速させ、メキシコやニカラグアでは左翼政権が相次いで成立、これに反発したグアテマラなどもメキシコの介入で政権が瓦解した。また一方でロング政権がクーデターにより崩壊しマッカーサーら軍の影響力が強まると南米への介入が強まるわけで、この過程でコロンビア、ボリビアはファシズム傾向を強め、特にコロンビアはパナマ戦争を引き起こし、軍縮によるデバフがあるとはいえどアメリカ海兵隊からパナマ砲台で水際防衛を徹底し、ハイチやニカラグアなどの関与もあり中南米から追い出し、続く南アメリカ大陸戦争でブラジルのエスタド・ノヴォ体制に揺らぎを生じさせた。ボリビアはチャコ戦争後にファシズム化しアプラ党との紛争で混迷中のペルーをコロンビアと合同で強襲しペルー・ボリビア連合を半ば強制的に建国。大陸戦争でチリと激しい戦いを繰り広げたのちアメリカの仲介で講和した。この「南米枢軸」の存在によりアルゼンチンはイギリスの崩壊も相まって政権が不安定化、ペロン派が反乱を起こし内戦状態となり、ブラジルもアマゾン川流域でのゲリラ戦により威信が低下、独裁に反対する南部三州が離反するなど大きな影響を生んだ。ただし市場の分裂によりモノカルチャー経済に依存している諸国の内情は低迷している。 次に注目するべきはアフリカであるだろうか。アフリカは大英帝国の崩壊によりナイジェリアやガーナ、シエラレオネが近代国家として自立を果たし、旧英連邦諸国との経済圏の一部となった。他方でフランス領地域はフランスが本土の危機的状況を打破することを望みこれらの地域の自治度を上げ積極的に産業に投資することでフラン・ブロックの維持とファシズムに対抗する国力の確保を狙ったが、フランス休戦後は緩くイタリアやドイツの影響下に入りつつも独立。アルジェリアはフランスやモロッコと対立し独立戦争を展開。中央アフリカ方面はドイツが戦後にミッテルアフリカを創設する予定であったが国防軍のクーデターにより頓挫し管理するものがいなくなりかなり情勢がカオスとなっている。 最後に中東からインドにかけてであるが、大まかにいうなら中東はイラクをはじめとした親枢軸とサウジアラビアなど親英米が対立しており、それぞれがそれぞれの属する市場と密接に関わっている一方でイランやアフガニスタンはソ連が介入しており米ソ対立の元ともなっている。インドは急速に独立したために藩王国と国民会議の意見が一致しておらず内紛状態でありパキスタンがカシミールを獲得できている。そんなパキスタンもアフガニスタンの影響でバローチスターンが独立。ネパールとベンガルがかなり漁夫っているがインドが体勢を整えてからはどうなるかといったところである。 結果的にどの国が「勝った」とも「負けた」ともいえない形で戦争は一時の終わりを迎えた。しかしこれらの国は次の「勝てる」戦争に向けて着実に計画を進めているのである。 明確な覇権が存在しない時代がまた訪れた。
途上