朝、目が覚める。見慣れた天井。 そろそろ見飽きてきた天井。 私は記憶喪失になってしまった。前までの記憶は一切ない。だが、膨大な量の知識はある。それと、時々単語などが出てこないこともある。鳶坂先生が言うには、「僕もまだ見たことが無い。外傷性の記憶喪失にしては珍しい容体だ。」とかなんとか。とにかく、体自体はもう完全体そのもの。 右を見る。窓ーーガラス、があった。その向こうでは今日も都会のビル群の中で幾人もの人たちが自分たちの職場や学校へ向かっている。私も、前まではどこの学校に通っていたんだろうな。少し前まではあの群衆の中に私もいて、記憶喪失になるなんて少しも思わずに、目的地へ向かっていたんだろうな。 今の私には、何もない。行くべき場所も、帰らねばならぬ場所も。これから、何から何まで自分で作っていかなければならない。 ガラララ、戸が開く音がした。 「相変わらず、おんなじような時間におきるのね。朝ごはん、持ってきましたよ。今日の献立は」 「匂い的に昨日と同じお米と鮭とお味噌汁?」 「と、それから今日は饅頭。」 「どうして饅頭なんか?これまでそんなもの一切なかったのに。」 「あなたを引き取ってくれるっていう人ができた記念よ。だから今からあなたにその人で大丈夫か聞くわね。」 「へえ、へえ。で、どんな人?」 「単刀直入に言うわね。」 「わざわざそんな前置きが必要なの?」 少し不安になってきた。 「平先生。」 「ふーん。ハァッ!!? 嘘でしょう?! あの人が?」 「そう。彼がね。」 とは言え、彼は別に性格も悪くないし、人間性もなっているし、医者なので収入も悪くない。記憶のない私にとっては一番印象のある知人の一人でもある。ついでに、実はこの看護師さん、桂子さんは平のお嫁さんでもあるので、この二人が家にいれば安心なような気もする。 「え、でもお二人、まだ20代前半、そんな状態で養子とって大丈夫なんですか...?」 「それはちゃんと平とも話し合って決めたから、あなたが良ければ、って言うところまで来てはいるの。」 「少し、考えさせてください。」 「ええ、待つわ。」 ガララララ、扉を開けて外へ出る。そしてそのまま受付の人に「少し中庭に出ます」とだけ言い、外に出て歩き始めた。 「わぁ、雪だ。綺麗だなあ。」 部屋にいる時は気づかなかったが、目の前に広がる世界は一面の銀世界だった。 「何センチくらい積もってるかな?おっ、足首ぐらいまで積もってるじゃん。この雪なら、雪だるま作れそうだな。」 そう言えばさっきの話、考えさせてください、とは言ったが、このパターンはどう考えてもこのまま養子に入るやつである。だってそもそも断ったところで次があるかもわからない。あまりにもハイリスクローリターンの賭けだ。でも、やはりこの二人が常にそばにいてくれる安心感は大きい。 「はぁ、」 吐く息が白い。病院に来てからのここ4日、外に出ていなかったからか少し体力が落ちている。頬に少し赤みが差していた。 公園とかに置いてある、プラスチックなのかちゃんと木なのかよくわからないタイプの、長椅子。これにもちゃんと雪が積もっている。私は、そこから自分が座る分だけ雪を払い落としてから、腰を下ろした。 1月7日、元旦から1週間。私がここに来てから4日。覚えているのは鳶坂先生に名前をつけてもらったこと、毎日朝ごはんは変わらず米に味噌汁に鮭だったこと、何故だか私は個室で寝起きしていること、それから外の街の景色。それ以外に私に残されたものは、前までの欠けた膨大な知識。分厚い装甲を持った、中身のない、殻だ。
長編小説 亡霊 作 はる 表紙画 はる 次話→ https://scratch.mit.edu/projects/1386627495/ 前話→ https://scratch.mit.edu/projects/1375028769/ あとがき 本当はもう少し先まで書くつもりだったんだけど、(チラッ、)もう12時半だからね。流石に寝ますわ。じゃ。 H38/09/30/00:29