,, - エスターライヒ帝国 - ,, -主要情報- 国名:エスターライヒ帝国、Österreich Kaiserreich、Ö.K. 国家元首:キルシュブリーテⅡ・フォン=ハーブスブルク 家:ハプスブルク皇帝家 首都:ハプスブルク 領土:ドナウ川周辺など 民族:ドナウ民族 文化:エースターライヒ文化 言語:ドナウ語(大河語) -主要都市- ☆ハプスブルク ・ヴェスターハプスブルク ・エースターハプスブルク ・ズュートハプスブルク ・ドナウ ・フルッサウ ・メーア ・ティサ ・クラインメーア ・ザルツブルク ・バルト ・ズュート・カルパティア ・ドラヴィニア ・メーアドラヴィニア ・バナティア ・オタカル ・ノーレンハプスブルク ・プラーグラント ・ノーレンプラーグ ・クラインプラーグ ・ヴェネツィア ・ロンバルディア ・ローマ ・ピサ ・ボローニャ ・パレルモ ・トリポリ ・キレナイカ ・チュニス ・ミッテルメーア(阿側ジブラルタル) -諸邦- ☆ハプスブルク君主国 - ハプスブルク ↳ハプスブルク家 ・ドナウ王国 - ドナウ ↳ドナウ分家ハプスブルク家 ・ボヘミア王国 - オタカル ↳オタカル家 ・ドラヴィニア大公国 - ドラヴィニア ↳ハプスブルク家(ハプスブルク君主国と同一) ・カルパティア大公国 - エスターハプスブルク ↳ドナウ分家ハプスブルク家 ・南カルパティア自治公国 - ズュート・カルパティア ↳ハプスブルク家(ハプスブルク君主国と同一) ・ロンバルド王国 - ロンバルディア ↳ロンバルド分家ハプスブルク家 ☆イタリエン自治公国 - ローマ ・トスカーナ君主国 - ピサ ↳トスカーナ家 ・ローマ君主国 - ローマ ↳選挙制皇帝 ・イタリエン小諸邦連合 - 諸邦の首都それぞれ ↳諸邦ごとの国家元首 ☆ブコヴィナ公国 ・ブコヴィナ公国 - チェルノヴィッツ ↳ブコヴィナ分家ハプスブルク家 ☆エスターライヒ保護領ワラキア=モルダヴィア - ブカレスト ↳東方総督府総督 ☆地中海諸邦連合 ・シチリア公国 - パレルモ ↳シチリア大公家 ・トリポリタニア公国 - トリポリ ↳トリポリ大公家 ・キレナイカ公国 - キレナイカ ↳トリポリ大公家 ・チュニジア大公国 - チュニス ↳チュニス大公家 ・モロッコ公国 - ミッテルメーア ↳アフリカ分家イベリア大公家 ・その他の諸邦 - 各地 ↳各国家元首 -外交締結国家- ・スヴェア王国(貿易協定) ・モハメダリー朝エジプト王国(貿易協定) ・ビザンツ帝国(国交締結) ・ドイツ騎士団領(領土保障条約締結中) ・日本国(貿易協定) -歴代国家元首- 初代:ルドルフィーネ女公(ハーブスブルク家) (2~65) 二代目:アドルフィーネ女公(ハーブスブルク家) (66~122) 三代目:ブラウン女公(ハーブスブルク家) (123~187) 四代目:ヒーナ女公(ハーブスブルク家) (188~232) 五代目:ルドルフィーネ二世女公(ハーブスブルク家) (233~285) 六代目:ルドルフィーネ三世女公(ハーブスブルク家) (286~350) 七代目:メーヴェ女公(ハーブスブルク家) (351~410) 八代目:アドルフィーネ二世女公(ハーブスブルク家) (411~455) 九代目:シルフィーユ女公(ハーブスブルク家) (456~477) '九代目:シルフィーユ女王(ハープスブルク家) (478~481) ''九代目:シルフィーユ女帝(ハプスブルク家) (482~510) 十代目:ヴィヴィ女帝(ハプスブルク家) (511~590) 十一代目:ルドルフィーネ四世女帝(ハプスブルク家) (591~657) 十二代目:ヴィヴィ二世女帝(ハプスブルク家) (658~720) 十三代目:シルフィーユ二世女帝(ハプスブルク家) (721~809) 十四代目:アドルフィーネ三世女帝(ハプスブルク家) (810~863) 十五代目:マリア女帝(ハプスブルク家) (864~918) 十六代目:エルシア女帝(ハプスブルク家) (919~945) 十七代目:ヴェリシエーナ女帝(ハプスブルク家) (946~1024) 十八代目:アドルフィーネ四世女帝(ハプスブルク家) (1025~1111) 十九代目:シルフィーユ三世女帝(ハプスブルク家) (1112~1194) 二十代目:ルドルフィーネ五世女帝(ハプスブルク家) (1195~1260) 二十一代目:マリア二世女帝(ハプスブルク家) (1261~1310) 二十二代目:ヴィクトリア女帝(ハプスブルク家) (1311~1367) 二十三代目:ヴィヴィ三世女帝(ハプスブルク家) (1368~1430) 二十四代目:リーリエ女帝(ハプスブルク家) (1431~1485) 二十五代目:ヴェスティ女帝(ハプスブルク家) (1486~1542) 二十六代目:リーリエ二世女帝(ハプスブルク家) (1543~1598) 二十七代目:リーリエ三世女帝(ハプスブルク家) (1599~1665) 二十八代目:ルドルフィーネ六世女帝(ハプスブルク家) (1666~1708) 二十九代目:キルシュブリーテ女帝(ハプスブルク家) (1709~1768) 三十代目:キルシュブリーテ二世女帝(ハプスブルク家) (1769~)
- エスターライヒ帝国の歴史 - 西の山岳地帯にて生まれたとされるルドルフィーネが東(現在のハプスブルク地域)に遠征、ここを首都として急速に拡大した国家。 元の家とは分離しており、新たにハプスブルク家を名乗った。 西の山岳から東の大河(ドナウ川)にかけての伝統的な価値観に「女性支配」が根付いており、故に女公が誕生したとされる。 女性は子を身籠り、産み、育てるという神聖なる者であり、男性は神聖なる女性を護り、働き、支える屈強な者とされるのである。 477年、時の公爵たるシルフィーユ女公は領土の肥大化を理由に王国への昇華を宣言し、国名をオーステルレイク王国へと改名した。この頃、ドナウ川以西の地域(史実で言うオーストリア地域、プリモルスカ地域、ハンガリー西部など)までを領土としていた。 しかし、まだまだ肥大化する王国は最早王国にとどまるまいと王の上の位たる皇帝をつくりだし、これに即位した。482年のことであり、ヴェスター山脈沿いのチロルと言われる地域やティサ川以西の地域までもを支配し、広い領土を効率的に支配する為に各地に諸邦を設置し、ある程度の自治を対価に忠誠を誓わせた。王国への昇格からなるこの一連の改革をシルフィーユ改革と呼ぶ。 その後継たるヴィヴィ女帝の即位から1年後、対ビザンツ国境をしっかりと定義するために国旗の作成が為され、黒金旗が作成された。 その2年後の514年、東方よりペストが流入。これに対してエースターライヒ帝国は諸邦の自治権を拡大、その上で諸邦毎に衛生環境の改善を命じた。また、ペスト患者及び接触者は3段階に分かれた隔離施設に隔離し、死亡を避けられない者以外は医師による研究・治療を行った。その上、各諸邦の国家元首と女帝陛下による不要不急の外出、そして政府組織及び宮殿への絶対な事由のない者の入出を禁じるなどの対策を行った。 そして1000年にわたるペストの流行はついに終焉を迎え、エースターライヒ帝国は華の時代を迎えた。 領土を大きく拡大させ、諸邦も刷新した。 リーリエ女帝は銀製通貨「ブルク(Bur、BU)」とBuの10000倍の価値がある「ハプスブルク(Hbu、HB)」を諸邦全体へと普及させた。 その後、ヴェスティ女帝の時代には周辺諸国と積極的な外交を行い、特にマムルーク朝エジプト王国では木材の主要な輸入先と成れたことにより、大きな利権を手に入れた。 そして、これに伴って海運業が発展し、出入口たるメーア、クラインメーアと木材などの産出地たるドナウ王国、カルパティアを中心とした好景気(通称木材景気)が発生した。 次代の女帝、リーリエ二世女帝はさらなる領土の拡大を行い、南カルパティア民族区を拡大させ自治公国へと昇格させる、ドイツ系ロンバルド人の居住する地域を占領する、ボヘミア王国による本ボヘミアへの拡大を後押しするなどかなりの領土拡張を行う。 本ボヘミア遠征では南カルパティアやロンバルドのようにドナウ系、ドイツ系などの近縁民族ではなくスラヴ民族チェスカー系であったためにドナウ人がボヘミア王国と共に進出してくることに抵抗的であった。 これに対し、強力な陸軍の編成とそれによる強固な占領、ボヘミア王国の自治度の格上げ、プラーグラントを中心とする三都市への進駐などにより半ば強制に抵抗を鎮めた。 また、南ドイツ人の土地であるものの、紀元前にはボヘミア人が居住していたと考えられるドイツ・ズデーテン及び周辺地域の獲得も目論み、ここをバイエルン公国より割譲させた。 その後、後を継いだもリーリエ三世女帝は大航海時代にて世界各地へと進出、外洋女帝と呼ばれることになる。 東地中海での覇権を確立し、アフリカ大陸をまわってマダガスカルやペルシア世界、ベンガルなどにも進出した。 また、同時代にて西方へと進出し、寒冷地を発見。ルーシの近辺だと思われる。ここをノイルーシとするつもりであったが、寒さが厳しかったため断念。現地で馬鈴薯を獲得した。 そして次代のルドルフィーネ六世女帝の時代に小氷期となった。 対策を講じたルドルフィーネ六世の元に二つの救いが差し伸べられた。 一つ目は日本との貿易。食品業が少し発展しやすくなり、そしてそれにより食品生産が増える。 二つ目は植民地からの食品輸入。ノイルーシにて獲得した馬鈴薯は寒冷地でも栽培が容易であり、マダガスカルにて栽培される米は小氷期の影響を受けない。この二つの作物の導入を行うため、先ずハプスブルク君主国での試験導入を開始した。 結果、概ね公表であり、ハプスブルク帝国全域に於いて普及させんとした。 キルシュブリーテ女帝陛下はカルパティア山脈やヴェスター山脈に進出し、南北カルパティアやチロルの全域を確保した。 キルシュブリーテ二世女帝陛下はキルシュブリーテ女帝の意思を継ぎ、ブコヴィナ地域やワラキア、モルダヴィアなどに進出。同地に「ブコヴィナ公国」「エスターライヒ保護領ワラキア=モルダヴィア」を建て、東欧植民地の礎とした。 また、この時代に蒸気機関技術が確立され、じきに蒸気機関車などに活用されていき、徐々に産業が発展をしていった。 その結果、労働者の労働環境は劣悪となっていく。遂にしびれをきらした労働者は各地でデモやストライキによる訴えを行う。これに対し女帝陛下は「臣民が苦しむのみではいたたまれない」と述べ、環境の改善を確約。それに乗じた知識人層が政府に「政党政治設立建白書」を提出、これを承諾し、議会政治の時代が幕を開けた。 その議員の出所を明確にするため、諸邦ごとに州を設立し、その州から3名(首都州は5名と首都州議院2名)を選出することとした。 結果、7つの首都州含む29州が誕生した。