ーーーーーー地図・世界線建設中ーーーーーー この世界の最も重要な転換点となったのは1936年2月26日に発生した二・二六事件である。現実世界では短期間で鎮圧されたこの反乱は、この世界では成功を収めた。反乱部隊は東京の政府中枢を掌握し、陸軍内部の皇道派を中心とする勢力はその後の政局を主導した。3月18日には真崎甚三郎を中心とする維新政府が成立し、これによって明治憲法下の政治体制は事実上崩壊した。しかし、新政府の成立は必ずしも国家全体の支持を意味するものではなかった。昭和天皇は維新政府の政治路線を認めず、政府との対立を深めていった。最終的に両者の対立は皇位そのものを巡る問題へと発展し、4月2日、昭和天皇は退位を強制され、弟宮である秩父宮雍仁親王が即位した。後にこの出来事は、日本が二つの国家へ分裂する遠因となった「皇統問題」の始まりとして位置付けられることになる。 維新政府が成立すると、日本は急速に軍事国家としての性格を強めていった。とりわけ政府が重視したのが、ソビエト連邦との対決を前提とした北進論であった。1930年代後半には満洲を基盤とする軍事体制が強化され、ソ連との国境では緊張が常態化した。一方で中国では国民政府を中心とする中華民国が日本への抵抗を続けており、日本は北方と大陸の双方に対して軍事的圧力を維持しなければならなくなった。この複雑な情勢の中で、1941年6月22日にドイツがソビエト連邦への侵攻を開始すると、維新政府はこれを好機と判断した。三国同盟を根拠として対ソ参戦を決定し、同年7月、日本軍はソ連極東方面への大規模な侵攻を開始した。 開戦当初の日本軍は予想以上の進撃を見せた。ソ連極東軍の一部が西方戦線へ転用されていたこともあり、日本軍は沿海州からシベリアへと進出し、その勢力は一時イルクーツク方面からヤクーツク方面にまで及んだ。しかし、日本にとってこの戦争は次第に想定を超えるものとなっていった。ドイツ軍が東部戦線で決定的な勝利を得られなかったことでソ連軍は戦力を回復し、さらに中華民国軍が日本軍の大陸側拠点に対する攻勢を強めたため、日本軍は二正面作戦を強いられた。1945年に入ると日本軍の戦線は急速に後退し、5月には朝鮮を除く大陸部からの撤退を余儀なくされた。 一方、日本は対ソ参戦の時点からアメリカおよびイギリスとも事実上の戦争状態に入っていた。しかし1945年6月頃までは、両国の対日戦略は日本本土への大規模侵攻よりも海上封鎖と通商破壊を中心としており、日本本土はなお大規模な地上戦を免れていた。ところが5月8日にドイツが降伏すると、連合国は戦力を日本へ集中させることが可能となった。戦争の最終局面はここから急速に激化することになる。 8月6日、広島に原子爆弾が投下され、続いて8月9日には長崎が攻撃を受けた。しかし維新政府はなお降伏を拒否した。政府と軍部は「一億玉砕」を掲げ、連合国軍の本土上陸を想定した決号作戦を発動した。原子爆弾による攻撃はその後も続き、9月12日には盛岡、10月18日には函館が核攻撃を受けた。それでも政府は戦争継続の方針を変えず、1945年末から1946年にかけて日本本土では史上類を見ない規模の地上戦が繰り広げられた。 本土決戦は日本軍と連合国軍の双方に莫大な犠牲をもたらした。日本側では軍人約200万人に加え、民間人約1000万人が死亡し、連合国側でも800万人以上の死傷者が発生した。最終的に維新政府は戦争継続能力を失い、1946年11月19日、長野県松代大本営において無条件降伏を受諾した。しかし、この降伏は日本国家の再統一を意味するものではなかった。むしろ戦後日本を待っていたのは、第二次世界大戦そのものに匹敵するほど長期的な影響を残す、国家分断であった。 戦勝国による占領と勢力圏の形成によって、日本列島は三つの政治領域に分割された。ソ連の影響下に置かれた北海道、樺太、千島列島と青森、岩手、宮城、秋田には日本人民共和国が成立し、それ以外の本州、四国、九州を中心とする地域には日本共和国が成立した。また、沖縄諸島はアメリカの自治国として琉球国となった。こうして日本は、単なる東西分断国家ではなく、三つの国家が並立する特異な状態に置かれた。 この分断は領土だけにとどまらなかった。皇室の正統性もまた南北に分裂したのである。北日本では1936年に即位した秩父宮が天皇として存続し、日本人民共和国は維新政府以来の皇統を自らの正統性の一部として位置付けた。これに対して日本共和国は、維新政府による昭和天皇の退位そのものを無効とし、戦後に昭和天皇を復位させた。結果として日本列島には、同じ皇室の歴史を異なる形で解釈する二つの国家が誕生した。 戦後の東アジアもまた、第二次世界大戦の結果によって大きく姿を変えた。朝鮮半島ではソ連の影響を受けながらも比較的穏健な社会主義国家として朝鮮民主主義人民共和国が成立し、その後の統合によって朝鮮半島全域を支配する統一朝鮮へと発展した。中国では国共内戦が続いたが、アメリカによる大規模な軍事・経済支援を受けた中華民国が最終的に勝利し、中国共産党は大陸から駆逐された。敗れた共産党勢力はソ連へ亡命し、中華民国は中国大陸と台湾の双方を統治する国家として存続した。この結果、中華民国は戦後東アジアにおける巨大な自由主義国家となり、日本共和国との関係を深めていくことになる。 ヨーロッパでも戦後秩序は現実世界とは異なる形で形成された。ドイツは東西に分断されたものの、1949年12月24日、建国からわずか79日しか経過していなかった東ドイツで統一を求める革命が発生した。西ドイツ軍の進駐によって東ドイツは併合され、この一連の出来事は後に「ベルリンの春」と呼ばれた。この事件は東欧諸国にも衝撃を与え、ルーマニア、ブルガリア、ユーゴスラビアなどが相次いでソ連圏から離脱した。これらの国々は東西いずれの陣営にも属さない中立勢力としてバルカン同盟を結成し、以後の国際政治において独自の地位を築いていくことになる。一方、ポーランドとチェコスロバキアは共産主義体制を維持した。 日本列島の分断は、こうした国際的対立の中で次第に固定化されていった。しかし1952年になると、北日本と南日本の関係は再び戦争へと転じる。10月10日、日本人民共和国軍が宮城・福島県境を越えて日本共和国へ侵攻し、列島戦争が始まった。北日本軍は開戦からわずか3週間で東京を占領し、10月31日には日本共和国政府が京都へ遷都する事態となった。その後も北日本軍は進撃を続け、太平洋側では愛知県刈谷市、日本海側では福井県敦賀市まで到達した。 しかし、この戦争に中華民国が直接介入したことで戦況は大きく変化した。1953年8月12日に東京が陥落し、11月7日には青森市まで失われたことで、今度は日本人民共和国が崩壊の危機に直面した。そこへ統一朝鮮から大量の義勇軍が派遣されると、北日本軍は再び反攻へ転じ、戦線は次第に開戦前の国境付近まで押し戻された。最終的に両軍は決定的な勝利を得られないまま膠着し、1954年7月5日、バルカン同盟の仲裁によってブカレストで講和条約が締結された。国境線はほぼ戦前の状態に戻され、列島戦争は終結した。 しかしブカレスト講和条約がもたらしたのは平和というより、分断の固定化であった。以後、日本人民共和国と日本共和国の間では大規模な戦争こそ発生しなかったものの、両国は互いを国家的・思想的な最大の敵と位置付け続けた。1950年代後半から1964年頃にかけては、日本人民共和国の情報総局と日本共和国の日本中央情報局による諜報戦が繰り広げられ、工作員の活動、情報戦、亡命者を巡る争いなどが水面下で続いた。日本列島の国境は次第に「世界で最も危険な国境」の一つとして知られるようになった。 1964年、ソ連ではフルシチョフ失脚を契機に政治的混乱が発生し、保守派・軍部によるクーデターと民主派勢力による蜂起が相次いだ。同年末には第二次ロシア内戦へと発展し、戦闘は1967年まで続いた。最終的には体制派が勝利したものの、内戦によってソ連の国家統制能力は大きく損なわれた。この出来事は、その後のソ連崩壊を早める重要な要因の一つとなった。 そして1990年、長年の経済停滞に加えてゴルバチョフによるペレストロイカとグラスノスチが進められた結果、ソビエト連邦は急速に崩壊した。1990年中に連邦政府の統制は失われ、ソ連に代わってロシア連邦が成立した。ロシアは共産主義そのものを否定したものの、旧ソ連圏に対する影響力を維持しようとし、北日本への支援も再開した。旧ソ連諸国と統一朝鮮などを中心に大陸同盟が形成され、ロシアは新たなユーラシアの中心勢力となった。 これに対抗する形で、西側諸国ではアメリカを中心とする世界自由連盟が成立した。日本共和国、中華民国、ドイツ、フランス、イギリスなどが参加し、1990年代から2000年代にかけて世界政治は大陸同盟と世界自由連盟を軸として動いた。しかしこの二極構造も長くは続かなかった。
↓上の続き 2008年9月15日に発生したリーマン・ショックは、この世界の国際秩序そのものを変えることとなった。この世界線ではアメリカ経済が現実世界以上の打撃を受け、金融危機は長期的な経済停滞と政治的混乱へ発展した。アメリカは超大国としての地位を失い、世界各地への軍事的・経済的関与を縮小せざるを得なくなった。その結果、世界自由連盟も求心力を失い、2009年から2010年にかけて解体された。 その後、フランス、イギリス、中華民国、ドイツなどを中心に自由国家連合が結成された。かつて世界自由連盟を主導したアメリカもこの組織に加盟したが、もはや唯一の指導国ではなく、数ある大国の一つとして扱われるようになった。一方の大陸同盟も、単なる軍事同盟から経済、外交、技術、安全保障を包括する総合的な同盟へと発展し、世界は明確な二極構造から複数の大国と地域同盟が並立する多極的な国際秩序へ移行した。 この変化はアフリカにも及んだ。21世紀に入ると、アフリカではエジプト、エチオピア、ナイジェリア、南アフリカがそれぞれ北・東・西・南の地域大国として台頭した。エジプトは南北スーダンを併合して北東アフリカに巨大な勢力圏を築き、エチオピアはエリトリアの独立を阻止することに成功して東アフリカの中心国となった。西アフリカではナイジェリアを中心として多数の中小国家が緩やかに結束し、西アフリカ経済共同体を軸とする地域統合が進んだ。一方、南アフリカは周辺地域に独自の勢力圏を形成した。 こうした地域大国の台頭を背景に、北アフリカではアフリカ連盟、東アフリカでは東アフリカ条約機構、西アフリカでは西アフリカ諸国機構、南部アフリカではアフリカーンス民族連合が形成された。やがてこれら四つの勢力は統合され、全アフリカ評議会が成立する。しかし統合は完全な安定をもたらさず、南アフリカを中心とする南部地域や中央アフリカ諸国が相次いで離脱した。さらにソマリアでは国家崩壊と武装勢力の台頭による大規模な内戦が発生し、アフリカは再び多数の国家と勢力が競合する群雄割拠の大陸となった。 ヨーロッパでも地域統合と分裂が同時に進んだ。北欧ではスカンディナヴィア連邦や大フィンランド共和国を中心に北欧諸国連合が形成され、バルト地域はロシア領として組み込まれた。東欧ではウクライナとベラルーシがロシア側に入り、ポーランドは武装中立を維持する一方、モルドバはルーマニアに併合された。コーカサスではロシアと周辺諸国の対立が激化し、イランによる支援も加わったことで、国境紛争や武力衝突が頻発する地域となった。 南アジアではインドが大きく揺らぎ、最終的に大小七つ前後の国家・勢力へ分裂した。パキスタンやバングラデシュもその影響を受け、南アジアは中華民国、大東亜連邦、ロシアなど周辺大国の利害が交錯する不安定な地域となった。東南アジアでは大東亜連邦が地域の大部分を統合し、オセアニアではオーストララシアが地域勢力として存在感を持つようになった。中央アジアではトルキスタン・ソビエト社会主義共和国連邦が独自の社会主義体制を維持している。 そして2008年以降の世界で最も急速に台頭した国家が、中華民国であった。アメリカが後退したことで生まれた国際的空白を埋めるように、中華民国は巨大な人口と経済力を背景としてアジアのみならず世界各地へ影響力を拡大した。中国共産党がすでに消滅し、台湾も中華民国領として統治されているこの世界では、中国の台頭は共産主義の拡大ではなく、強大な中華民国を中心とする新たな国際秩序の形成として進んだ。そのため2020年代には「アメリカの世紀が終わり、中国の世紀が始まろうとしている」とする見方が広がっている。 しかし、こうした世界規模の変化の中でも、80年間にわたって解決されていない問題がある。それが日本列島の分断である。 1946年11月の日本分断から数えて2026年には約80年、1954年7月5日のブカレスト講和条約から数えても70年以上が経過した。それにもかかわらず、日本人民共和国、日本共和国、琉球国という三国家体制は現在まで存続している。 長年の分断は、かつて戦争を経験した世代が減少する一方で、戦後生まれの世代に新たな国家意識を形成させた。日本人民共和国では「革命の未完」を掲げる勢力が、日本共和国では「祖国奪還」を掲げる勢力がそれぞれ勢力を拡大し、両国で再統一を求める声が急速に強まっている。 しかも、そこで求められている統一は必ずしも平和的なものではない。外交交渉による統一を主張する穏健派が存在する一方、両国では「次の戦争こそが日本統一を決定する」とする強硬論が台頭している。2026年に入ると国境地帯では軍備増強が相次ぎ、両軍の部隊配置も目に見えて増加した。 1954年7月5日のブカレスト講和条約によって築かれた停戦体制は、70年以上の時を経て再び揺らいでいる。 世界はもはや1940年代のような単純な二極対立ではない。アメリカはかつての超大国としての地位を失い、中華民国、ロシア、自由国家連合、大陸同盟、大東亜連邦、バルカン同盟、そして各地域の大国が複雑に競い合っている。世界各地で新たな秩序が生まれる一方、古い対立はいまだ消えていない。 そして、その最も象徴的な存在が日本である。 80年前の戦争によって生まれた二つの日本は、いまだ互いを国家として認めながらも、その存在そのものを否定し続けている。日本共和国にとって北日本は「奪われた祖国」であり、日本人民共和国にとって南日本は「未完の革命によって残された旧体制」である。 2026年、日本列島では再び歴史が動き始めている。 この分断は、平和的な交渉によって終わるのか。それとも、1952年から1954年にかけての列島戦争以来となる新たな戦争によって決着するのか。 その答えを知る者は、まだ誰もいない。 世界は今後どこへ向かうのだろうか。 そして、日本に再び旭日が上がる日は来るのだろうか。 めっちゃ浅い主要国家概要(てけと) 日本共和国 「1946年、日本分断により成立。昭和天皇を再び天皇として迎え、東京を首都とした。1952年の列島戦争では一時東京を失うも、中華民国の参戦で反攻に成功し、1954年のブカレスト講和条約で戦争を終結。戦後は西側陣営に属し、現在は自由国家連合の主要国。2026年現在、日本共和国では、日本再統一を掲げる右派勢力による大規模なデモが各地で頻発している。 東京では、再び統一が語られ始めていた。」 日本人民共和国 「1946年、北海道・東北北部などを領土として成立。ソ連の支援を受け社会主義国家となり、秩父宮雍仁親王を天皇として存続させた。雍仁親王は1963年に薨去し、後継として秩父宮恒仁天皇が即位。1952年には南日本へ侵攻し列島戦争を開始したが、1954年の講和で戦争を終結。現在はロシア連邦と協力し、社会主義体制を維持している。また日本再統一を掲げる民族主義者や軍部強硬派の台頭が問題となっている。札幌では、次に国境が動く日を誰も忘れてはいなかった。」 アメリカ合衆国 「第二次世界大戦では連合国として枢軸国と戦い、戦後は超大国となった。日本とは1945年6月頃から本格的に戦い、本土決戦で約300万人の死傷者を出した。冷戦後も影響力を維持したが、2008年のリーマン・ショックで国力が低下。世界自由連盟解体後は自由国家連合の一般加盟国となった。現在、失われた超大国としての地位を取り戻すべきだとする"アメリカ第一主義"を掲げる"ドナルド・トランプ"が急速に支持を広げている。失われた地位を、ワシントンはまだ忘れていない。」 中華民国 「第二次世界大戦後、国共内戦が再開するも、アメリカの支援を受けた中華民国が勝利。中国大陸を統一し、首都を北京とした。1953年には列島戦争へ参戦し、日本共和国を支援して北日本軍を撃退。現在は自由国家連合の主要国であり、東アジア最大級の大国となっている。 現在は日本列島での再戦を警戒する世論が高まり、軍部による大規模な動員計画が進められている。北京は次に東アジアが動く場所を見つめていた。」 ロシア連邦 1922年にソビエト連邦が成立。第二次世界大戦では日本軍の侵攻を受けながらも反攻し、日本軍を大陸から撤退させた。1964年には第二次ロシア内戦が発生し、体制派が勝利したが国家は弱体化。1990年、ゴルバチョフの改革と財政悪化を背景にソ連が崩壊し、ロシア連邦が成立。大陸同盟を結成し、現在もユーラシアで強い影響力を持つ。また大陸同盟の再強化と旧ソ連圏への影響力拡大を求める勢力が勢いを増している。ソ連は崩壊した。しかし、ロシアまで終わったわけではなかった。」 朝鮮民主主義人民共和国 第二次世界大戦後、ソ連の支援によって朝鮮半島全域を統治する社会主義国家として成立。史実より穏健な体制を採用し、ソ連との協力関係を維持した。1953年には列島戦争へ義勇軍を派遣し、日本人民共和国を支援。現在は大陸同盟に加盟する東アジアの主要国となっている。しかし国内では各地で自由派によるテロが頻発しており不穏な情勢が続いている。 朝鮮半島は統一された。だが、その平和まで統一されたわけではなかった。」 琉球国 1946年、日本分断に伴い沖縄を領土として成立。アメリカの自治国となり、冷戦期には大規模な軍事基地が建設された。現在も東洋最大級の軍事要塞として西太平洋の重要拠点となっている。自由国家連合に加盟し、アメリカとの軍事関係を維持している。現在は日本列島の緊張激化を受けて軍備増強を求める声が高まり、米軍との共同演習も増加している。小さな島々は、いつしか太平洋の鍵となった。」 ドイツ連邦共和国 「第二次世界大戦後、東西ドイツに分断された。1949年12月24日の"ベルリンの春"で東ドイツ政府が崩壊し、西ドイツが東ドイツを併合して統一を達成。以後、西側の主要国として発展し、現在は自由国家連合の中心国となっている。しかし東欧情勢の悪化を受けて再軍備を求める右派や民族主義を掲げる勢力が急速に拡大している。またドイツは同じ轍を踏むのだろうか?」 ブルガリア王国 「第二次世界大戦後も王政を維持し、ソ連の影響下に置かれた。1949年のベルリンの春を契機にルーマニア、ユーゴスラビアなどとソ連圏から離脱し、バルカン同盟を結成。中立政策を掲げ、1954年には日本の講和を仲裁した。現在もバルカン同盟の盟主国となっている。また東西両陣営の緊張を背景に、バルカン同盟の軍事的中立を強化すべきだとの声が高まっている。ソフィアは、東にも西にも属さない。」 イギリス 第二次世界大戦では連合国の主要国として枢軸国と戦い、戦後も西側陣営の中心国となった。世界自由連盟ではアメリカとともに西側を支え、2008年の再編後は自由国家連合を主導。現在も欧州を代表する軍事・外交大国である。しかし自由国家連合の主導権をめぐってフランスやドイツとの対立が表面化し始めている。帝国は消えた。それでもロンドンの影響力は消えなかった。」 東アジアに関してはもう少しボリュームアップするかも