民衆が信じたいものしか信じぬのなら、信じられる物を作らねばならない、その為には民衆を知る必要がある、元来全ては認識なのだから、無知は国家の鎮痛剤である、幸福は認知しない限り民衆が言うには、ただの身体の反応である。 近年の右傾化は、抑圧されていた民族主義が国家の衰弱により国民が耐え切れず泣き叫んでいるような物である、そしてnetで民衆が劣等感により言った事と、同じ事を言う政治家を盲目的に信仰する、それは抑圧された民族主義が再び渦巻く場を与えられたかのように。 つまり民衆は信じたい物を求めるのだ、そのうえで民衆は信じたいものしか信じないのである。 劣等感の代替は幾らでも存在する、そしてそれは複雑に絡み合う事が大半だ、民族主義の渦に呑まれ認識を遮られた 民衆から見た左翼は、国家の弱体化を進める敵にしか見えないだろう、しかし実情としては、右翼全体の雰囲気により認識を阻害されている影響が大きいだろう。 綺麗事もあながち間違ってはいない。 そう貴方に言っているのだ。