1話 神の子と神獣 ――私の前世は、どこにでもいる普通の会社員だった。 「……終わったぁ……」 時刻は夜の十一時過ぎ。 パソコンの画面には、今日一日かけて処理した大量の書類。 ようやく最後の仕事を終えた私は、椅子の背もたれに身体を預けた。 「明日も仕事かぁ……」 疲れた。 とにかく疲れた。 朝起きて、会社へ行って、仕事をして、帰って寝る。 そんな毎日の繰り返し。 別に仕事が嫌いなわけじゃない。 でも、たまには――。 「魔法とか使って、一瞬で仕事終わらせられたらなぁ……」 そんなくだらないことを呟いて、私は会社を出た。 夜の街を歩く。 コンビニで何か買って帰ろう。 そう思った。 その瞬間だった。 「……え?」 目の前が真っ白になった。 まるで世界そのものが光に包まれたような感覚。 「何、これ……?」 次の瞬間。 意識が途切れた。 ◆ 「おぎゃあああああ!!」 「生まれました!」 「奥様は――」 「…………」 「奥様は、もう……」 ――次に目を開けたとき。 そこには、知らない天井があった。 いや。 正確には、天井しか見えなかった。 身体が動かない。 声も自由に出せない。 「……?」 私は視界の端に映った、小さな手を見た。 ぷにぷに。 短い指。 小さな手。 「…………」 しばらく考える。 そして。 「……え?」 ――私、赤ちゃんになってる。 ◆ それから数年。 私は、この世界について少しずつ知っていった。 ここは前世の地球とはまったく違う世界。 魔法が存在し、魔物がいて、貴族が存在する。 そして私は――。 由緒正しい貴族、ジュエル家の娘として生まれた。 名前は、 ジュエル・コロン。 父は――。 ジュエル・アレン。 優秀な魔法使いであり、国内でも有数のエリート貴族。 そして兄は――。 ジュエル・ノエル。 父と同じく魔法の才能に恵まれた、将来有望なエリート。 ……ただし。 「コロン~!」 「……」 「今日も可愛いね」 「ありがとう、パパン」 「昨日より可愛いよ」 「昨日も可愛いって言ってなかった?」 「もちろん昨日も可愛かったよ」 「じゃあ毎日可愛いってこと?」 「当然だよ」 父、親バカ。 しかも重症。 そして兄。 「コロン、おはよう」 「おはよう、お兄ちゃん」 「今日も可愛いね」 「ありがとう」 「髪も綺麗だ」 「そう?」 「うん」 「昨日と何か違う?」 「いや、昨日も綺麗だった」 「……」 兄、シスコン。 こちらも重症。 私は二人を見ながら思った。 (……私の家族、濃くない?) ◆ ただ。 そんな幸せな家族の中で。 私には、どうしても知らない人が一人いた。 母親。 私を産んだ代償として。 母は、私が生まれて間もなく亡くなった。 だから私は、母の顔を知らない。 声も知らない。 抱きしめてもらった記憶もない。 けれど。 パパンはよく母の話をしてくれた。 「コロンのお母さんはね、とても優しい人だったんだ」 「どんな人だったの?」 「そうだね……」 パパンは少し考える。 「君に似ていたよ」 「本当?」 「うん」 「じゃあ可愛かった?」 「もちろん」 パパンは笑った。 「僕が愛した人だからね」 その笑顔を見ると。 私は何も言えなくなった。 母は私を産んでくれた。 そして。 その命と引き換えに、私をこの世界に残してくれた。 だから私は。 母の分まで、この家で幸せになろうと思った。 ◆ そして――。 私が三歳になった頃。 事件は起きた。 「……?」 自分の手を見つめる。 指先に、小さな光が浮かんでいた。 「何これ……」 青。 紫。 金。 まるで小さな星のような光。 私は指を動かしてみる。 すると――。 バァンッ!! 「!?」 突然、部屋中に強烈な魔力が広がった。 カーテンが大きく揺れる。 本が宙に浮く。 机の上に置いてあった物まで、ふわふわと浮き始めた。 「コロン!?」 扉が勢いよく開く。 「大丈夫かい!?」 パパン――アレンが飛び込んできた。 その後ろからノエルも入ってくる。 「コロン!」 「お兄ちゃん……」 「怪我は!?」 「ないよ」 「本当に?」 「うん」 「どこか痛いところは?」 「ない」 「本当に?」 「ないってば」 「……よかった」 ノエルは心底安心したように息を吐いた。 私は思った。 (お兄ちゃん……過保護すぎない?) すると。 「……アレン様」 部屋にいた使用人のメトラさんが震えた声を出した。 「この魔力……」 「うん」 パパンは私を見る。 「僕にも信じられないよ」 「何がですか?」 「この魔力量だ」 パパンの表情が変わる。 「三歳児のものじゃない」 この世界では。 一般的に魔力が出現するのは二十代。 子どもの頃から魔力を持つ人間はほとんどいない。 ましてや――。 これほどの魔力。 「……神の子」 誰かが呟いた。 「神の子……」 その言葉は。 やがて私の呼び名になった。 ◆ そんな私が。 三歳になったある日のこと。 「森に行きたい!」 「森?」 パパンが首を傾げる。 「うん!」 「危険な場所には行かない?」 「行かない!」 「一人で遠くまで行かない?」 「行かない!」 「知らない魔物に近づかない?」 「……」 「コロン?」 「行かない!」 ……ちょっと怪しかった。 でも、私は森へ行くことを許してもらった。 そして。 森の中を歩いていると――。 「……?」 何かが聞こえた。 「……クゥ……」 「……?」 私は足を止めた。 茂みの向こう。 そこから、小さな呻き声。 「誰かいるの?」 私はそっと茂みをかき分けた。 そして――。 「……!」 そこにいたのは。 一匹の白い狐だった。 普通の狐よりも遥かに大きい。 真っ白な毛。 美しい青い瞳。 しかし。 身体中が傷だらけだった。 「怪我してる……」 私は近づく。 白狐は警戒して唸った。 「グル……」 「怖くないよ」 私はしゃがむ。 「治してあげる」 手を伸ばす。 そして。 「《ヒール》」 淡い光が白狐を包み込む。 傷が少しずつ消えていく。 血が止まる。 傷口が閉じていく。 そして。 「……できた」 私は笑った。 その瞬間。 『――え?』 「……?」 どこからか声が聞こえた。 『私が……見えているのか?』 私は辺りを見回した。 「誰?」 『……お前だ』 「私?」 『そうだ』 「…………」 目の前の白狐を見る。 白狐も私を見ている。 『……まさか』 白狐の目が大きく見開かれた。 『私の姿が、見えているのか?』 「……あなたが喋ってるの?」 『……!』 白狐が固まった。 『聞こえている……?』 「うん」 『…………』 長い沈黙。 そして。 『……信じられない』 「?」 『私は神獣だ』 「神獣……?」 『そうだ』 白狐はゆっくりと立ち上がる。 『私の姿を認識できる人間など、ほとんどいない』 「でも見えてるよ?」 『……それが信じられないのだ』 白狐は私をじっと見つめた。 『これほどの魔力……』 「?」 『お前……何者だ?』 「ジュエル・コロン!」 『……』 「三歳!」 『…………』 「魔法がちょっと得意!」 『ちょっと……?』 白狐が微妙な顔をした。 『……なるほど』 「?」 『変な人間だ』 「えっ」 『だが――』 白狐が近づいてくる。 そして。 私の手に頭を擦りつけた。 『……嫌いではない』 「!」 私は笑った。 「じゃあ、お友達!」 『……友達?』 「うん!」 『……』 白狐は少し考えた。 『……いいだろう』 その瞬間。 私たちの距離は、一気に縮まった。 ◆ 「そういえば」 私は白狐を見る。 「あなた、名前は?」 『名?』 「うん」 『……ない』 「じゃあ、私がつけていい?」 『好きにするといい』 私は考える。 「コロンの『コ』!」 『……』 「お兄ちゃんのノエルから『ノ』!」 『……』 「それから、お父様のアレンから『ア』!」 『…………』 「コ・ノ・ア!」 白狐は少し目を丸くした。 『……コノア』 「うん!」 『悪くない』 「じゃあ決まり!」 私は笑った。 「今日から君はコノア!」 『……よろしく頼む、コロン』 「うん!」 ◆ ところで。 「コノア」 『なんだ?』 「ちょっと臭う」 『…………』 「怪我してたし、泥もついてるし」 『……』 「お風呂入ろう!」 『…………何?』 「お風呂!」 『断る』 「え」 『私は神獣だぞ』 「だから?」 『神獣が人間に洗われるなど――』 「…………」 私はコノアを抱き上げた。 『!?』 「お風呂行こ!」 『ちょ、待て! コロン!』 「大丈夫!」 『何が大丈夫なの!」 なんか急に口調変わったな…コノア…まぁいっか 「怖くないよ!」 『そういう問題じゃない!』
上の続き …数分後… 「はい、さっぱり!」 『…………』 白い毛が水に濡れて、ぺったんこになっている。 「……」 『……』 「コノア」 『なに?』 「……ちっちゃくなったね」 『言わないで』 「ふふっ」 『笑うなぁ……』 私はタオルで拭いてあげる。 ごしごし。 ごしごし。 「……全然乾かない」 『僕、毛が多いからね』 「どうしよう」 私は考える。 そして。 「……あ」 前世の記憶が蘇った。 「ドライヤー……」 『どらいやー?』 「髪を乾かす道具」 『そんなものがあるの?』 「前の世界にはあったの」 『へぇ』 「……でも、ここにはない」 『残念だね』 「ううん」 私はニヤッと笑った。 「ないなら作ればいいんだよ」 『……また何か始めた?』 「魔法で作る!」 私は手を前に出す。 小さな炎が浮かぶ。 風を重ねる。 そして。 「温度を調整して……」 炎を弱く。 風を強く。 魔力を細かく調整する。 「いけっ!」 ――ゴォォォォッ! 温かい風が吹き出した。 『わぁ……!』 コノアの毛がふわっと揺れる。 「どう?」 『……すごい』 「でしょ?」 『これ、気持ちいい……』 コノアの目がとろんとする。 『……僕、これ好き』 「じゃあ完成!」 『名前は?』 「うーん……」 私は少し考えて。 「《ドライヤー》!」 こうして。 私が初めて作った合成魔法。 炎×風――《ドライヤー》 が完成した。 ◆ 屋敷に戻る。 「おかえり、コロン」 パパンが笑顔で迎えてくれる。 「パパン!」 私は走っていく。 肩にはコノア。 「……?」 パパンがコノアを見る。 「その白い影は……?」 「コノア!」 『やあ』 「…………?」 『僕、見えてないみたいだね』 「パパンには?」 『うっすらしか見えてないみたい』 パパンは目を細める。 「僕には……白い何かがいるようにしか見えないな」 「コノアは神獣なんだよ!」 「神獣……?」 パパンが驚いてる…そんなにすごいの?コノア。 「なるほど……」 そして。 「コロンが大切にしたいなら、僕は反対しないよ」 「本当!?」 「もちろん」 「やった!」 そのとき。 「コロン、おかえり」 兄のノエルが来た。 「お兄ちゃん!」 「……?」 ノエルがコノアのいる場所を見る 兄にはコノアがぼんやりとしか見えないのだろう… 『君がお兄ちゃんか』 「?」 「どうしたの?」 『いや』 コノアが私の肩で小さく笑う。 『君のお兄ちゃん、僕より強そう』 「えっ?」 『でも』 ノエルを見る。 『コロンのことになると、たぶん僕より弱いね……」 私は笑いそうになった。 「コロン?」 「なんでもない!」 ノエルは首を傾げる。 「……?」 そして。 「コロン」 「なに?」 「この子が大切なら、ちゃんと大切にするんだよ」 「うん!」 「それと、森へ行くときは私にも教えること」 「はい!」 「危険な場所には一人で行かない」 「はい!」 「何かあったらすぐ私を呼ぶ」 「はい!」 (……やっぱりシスコンだ) 私は心の中で敬礼した。 一生ついていきますぜ兄貴ぃ! ◆ 翌日。 「コロン様、おやつをお持ちしました」 料理人のナツメが、テーブルにケーキを置いた。 「わぁ!」 私は目を輝かせる。 その瞬間。 肩の上にいたコノアの耳が――。 ピクッ。 『…………!』 「?」 『コロン』 「なに?」 『あれ』 「ケーキ?」 『うん』 コノアの尻尾がゆらゆら揺れる。 『食べたい』 「食べれば?」 『僕にもくれる?』 「もちろん」 私は少し切ってコノアに渡す。 ぱくっ。 『…………』 「どう?」 『…………』 コノアが固まった。 『……おいしい』 「よかったね」 『……コロン』 「なに?」 『これ、誰が作ったの?』 「ナツメさん」 『……ナツメ』 コノアがナツメを見る。 『ナツメ!最高!これからもよろしくぅ⤴︎』 「そんな…コノア様恐縮です…」 ナツメが苦笑する。 『僕、今日から君のこと好き』 「コノア、急に告白しないで」 『だって美味しいんだもん』 「神獣なのに……」 『僕、神獣だけど甘いもの好きなんだ』 「威厳は?」 『ケーキの前では捨てる』 「即答!?」 ナツメが笑う。 「コノア様、もう一切れいかがですか?」 『いる!』 「さっき一切れだけって言ってなかった?」 『あれは一切れ目という意味だよ!』 「屁理屈!」 『僕、頭いいからね』 「自分で言うんだ……」 コノアは満足そうにケーキを食べた。 ◆ ――私の異世界生活は。 こうして始まった。 前世では、ただの会社員だった。 でも今は。 生まれつき規格外の魔力を持つ「神の子」。 親バカなパパン。 シスコンな兄。 そして。 私の肩に乗る、ちょっと偉そうで。 でも甘いものが大好きな神獣。 『コロン』 「なに?」 『これからも僕を肩に乗せてね』 「もちろん」 『……あと』 「?」 『ナツメのケーキも』 「そっちが本命でしょ?」 『……バレた?』 「バレバレ」 私は笑った。 まだ知らない。 私が作った小さな合成魔法が。 やがて、この世界の魔法技術を大きく変えることを。 まだ知らない。 私の中に眠る魔力が。 「神の子」という言葉だけでは説明できないほどの力だということを。 そして。 肩に乗っているこの小さな白狐が。 ただの可愛い神獣ではないことも。 『コロン』 「ん?」 『僕、君に会えてよかった』 「……私も」 こうして。 私――ジュエル・コロンの。 ちょっと変わった異世界生活が始まった。 次回予告