朝、見たことのない天井。 見たことのない天井? なんで見たことのない天井だと思ったのだろうか。それ以前に、これまでの天井はどんな物だったか。わからない。この天井が本当に見たことの無い物なのかすらも。 そもそも、「今は本当に朝」なのだろうか。目が覚めたら朝だと言う固定概念のせいだろうか。 体を起こす。確かに見たことの無い景色だ。だが、病院だろうか。そのような雰囲気がある。ここが病院だと理解できたことに僅かな安堵があった。少し予感はあったが、はてさて、どういうことだろう。自分の名前がわからない。住んでいた場所はおろか、身近な人の顔すらも。自分の顔すらも分からない。これは、俗に言う、あれ、なんだっけ?きっと、少し前までの自分はこの単語を知っていたのだろう。だが、今は思い出せない。 ガララララ、戸の開く音。白の服を着た女性が一人、入ってくる。 「あ、起きた。あぁじゃなくて、具合はどうですか?」 「ぐあい?なんですか?それ。私そんなの持ってないと思いますけど?」 ぐあい、とはなんのことだろうか。グアムのいい間違えか何かだろうか。そう言えばグアムって、どこにあるんだっけ。今はこうでもして少しでもたくさんのことを思い出していないと気が狂いそうだ。 「ご冗談でしょう?具合ですよ具合。調子はどうですか?」 「あー、調子。まあ、体は、大丈夫だと思います。多分。、、、えーと、なんて言うんだっけ、き、きき、き。わかんないや。そうか!こう言えばいいんだ!色々覚えてないことがあります。」 「それは大変、頭の怪我だからもしかするとと、思われていたのだけど本当に記憶喪失なのね。じゃあ、私は先生に伝えにいくからまたあとでね。」 きおくそうしつ、さっき自分が思い出そうとしていた単語はこれだろうか。まるで自分の知らない言語を解読しているようだ。そう言えば、頭の怪我、そう言っていた。頭に手を当てると、髪ではない、別の感触があった。 「今はあまり触らないでおいたほうがいいわよ。」 私はサッと手を引いて、 「べっ、別に触ってないし?」 なぜわざわざそんなことを言ったのだろう。口答えなどせず単純に「はいわかりました」でいいはずなのに。 せんせい、医者のことだろうか。 女性が部屋を出て行って、私は頭を反対へ向ける。窓がある。大きな窓だ。窓の材質は、思い出せない。でも、液体のような結晶構造を持たない固体だという、いつどこで使うのかわからない雑学なら覚えている。覚えていたいのはそこじゃ無いんだよ。 窓の先、コンクリートと、この、液体っぽい固体と、鉄と。つまるところ、つまるところ、街、街なんだけど、こういう大きな街を、なんと言うんだっけ。 それにしてもすごい人の量だ。ビルも乱立樹立し、道路は車で溢れている。 私は自分でも気づかないうちにベッドを降り、窓に手をつけて外の景色に見入っていた。 少し窓から顔を離すと、次は窓に映り込んだ自分の顔が見えた。 「...綺麗な顔。 そう言えば私、さっきまで自分の顔も分からなかったな。って、自分の顔に綺麗とか、何言ってんの。」 だが、それは本当に、とても綺麗な顔だった。端正でバランスの取れたパーツの配置、綺麗な唇、大きすぎない鼻、大きな目と透き通るような灰色の瞳、そしてショートの灰色がかった水色の髪。それだけに頭部に巻かれた白い布があまりにも異質だった。 ガララララ、また、戸が開いた。次は先ほどの女性と、20代ほどの若い男性だ。これが、先ほど言っていた 「記憶喪失なんだったね?じゃあ、まず落ち着いて聞いて。ここは雨高病院です。君は路地で頭に怪我を負って倒れているところを発見され、ここへ救急搬送されました。私は担当医の鳶坂平。早速だけど質問です。自分の名前がわかりますか?」 「路地で、頭に怪我を、で、ここに。名前は、全く持ってわかりません。」 「名前側からない、じゃあ次に、今が何年何月何日、何時ごろ、季節はいつ頃かだけでもわかりますか?」 私は咄嗟に窓を見て、空に浮かぶ巨大な光源ーー名前がわからない、の位置を確認し、周囲の人たちの服装から推測を重ねる。 「1月初旬の午前9時半ごろ、なので冬でしょうか?」 「あのね、クイズをしたわけじゃないんだよ。君の記憶がどの程度あるかを確認したんだ。外見て推論して答えろっていうことじゃないんだよ。しかも合ってるからさらに困るんだけれども。」 横の女性がこのやりとりについて少し笑っている。 「しょうがないじゃないですか。そうならそうと最初から言ってくださらないとわかりませんよ。」 私は理不尽に呆れられ笑われていることに少し腹を立ててこれみよがしに頬を膨らませてみた。 余計横の人に笑われた。もう絶対に頬を膨らませたりするもんか。 「まあ、とりあえず。じゃあ。次は目の動きで脳の正常さを確認するから、このペン先の光を目で追って。」 そう言って平は光るペン、他で絶対に使い所なさそうなものを取り出して光らせて動かしてみせた。 私は目だけでそれの動きを追いかけた。少し癪だが意外と面白い。 「目の動きは、正常、と。」 「あっ、ちょ、もう終わり?」 「え?終わりだけども?それともまだやりたかったのかい?」 「ぐ、うう、別に、別にそんなわけじゃないけど、、」 「じゃあ次は身体の正常性を確認するね。」 そうこうして10数分、簡単な検査が全て終わり、最後に平がこういった。 「そういえば、君の身元を特定するためのものが一切ないんだよね。と、いうことで。警察が君の身元を特定するまでの間、僕たちも君のことを呼ぶ時に名前がないと面倒だからね。通称名をつけようと思う。何か希望はあるかい?」 「通称名、へー、身元が特定されるまでの名前。もし、それで身元がわからないままだったらどうなるんですか?」 「新しい戸籍でもその名前で生活することもできるし、新しい戸籍を作るタイミングで別の名前にもできる。」 「じゃあ、今は別に適当なのでも問題はないわけですね。」 「そうなるね。」 「じゃあ、」 病院の室内を見渡し、そこで印象に残ったものからつけようと思った。最初に目に入ったのは、天井。次に目に入ったのは窓。 「あの、天井、と窓、これを名前に入れて作ってもらってもいいですか?」 「ああいいよ。ん、えっ?僕が作るの?君が自分で考えてもいいんだよ?」 「せっかくなら、前と同じ、他の人と同じで、自分じゃない誰かにつけてもらった名前の方かいいかな、と思って。」 「え、えぇ、じゃあ。天井、これって読み方変えたら『あまい』って読めるな。じゃあ、次に、窓。窓の材質はガラス、ガラスって感じで書いたら2文字目に『子』ってつくな。じゃあ、これも読み方を変えたら『しょうこ』になる。あとはこれをまとめて、『天井硝子』。これでどうだい?」 「あまいしょうこ、、いい名前ですね。大切にします。」 「気に入ってくれたのなら嬉しいよ。じゃあ、僕はこの滑を役所やらに登録するためにちょっとソーシャルワーカーに伝えてくるよ。」 ソーシャルワーカー、病院と役所の連絡係的な。そういう情報よりももっと根本的なところを覚えておきたかったなぁ。
長編小説 亡霊 作 はる 表紙画 はる 次話→ https://scratch.mit.edu/projects/1375028769/ 前話→ あるわけなかろう あとがき 最初は短編小説にしようと思ってたのにぃぃいぃいぃ!!!! だって!絶対に!長編を描き切るなんて不可能だもん!!!無理だよ!!!だから短編で一気に掻き切ろうと思ったら!!!名前作るとこまでしか書けなかったよ!!!! H38/08/19