重装甲巡洋艦「石槌」(じゅうそうこうじゅんようかん いしづち) スペック 武装 五十口径試製六式五十五糎連装自動砲×2 五式十三糎半自動高射砲×10 九六式二十五粍三連装高射機関砲×26 電探 試製六式特五一号電探×1 五式特三一号電探×1 五式特五二号電探×10 装甲 船体両舷334mm 甲板189mm 艦橋310mm 主砲塔400mm バイタルパート400mm 速度 前進65km/h、後進31km/h 排水量 49737t 全長 238.2m 乗員 2038人
説明 大日本帝国が1947年に就役させた重装甲巡洋艦。1946年当時大日本帝国海軍は50cm級の主砲を備えた紀伊型の建造を目前としており、そのため50cm級の砲を実験的に運用する艦が必要となり、本艦は建造された。当初は前2、後1の主砲配置となる予定だったが主砲一基の重量がかさみすぎた為に前1後1の配置となった。実験艦としての意味合いが強かったため、主砲と電探は試製のまま搭載された。主砲は55cmで大和型のような水圧駆動式固定角半自動装填機構ではなく3つの回転型薬室を備えたリボルバー式自動装填機構を備え、薬室とラマー等の装弾機構が砲身に付属し、砲身の角度に追随するためどの角度でも一律23秒の装填が可能だった。また薬室への装弾は弾薬庫から所定の位置まで弾と装薬を同時に持ち上げた後それらを砲身の角度に合わせてから薬室内に送り込む機構がある。1945年末の時点ではリボルバー機構なしにこの装弾機構のみで進める案だったが、この機構が破損や故障などの要因によって停止した際に最低限継戦能力を得るためにリボルバーと併用となった。対空兵装も立春型の13.5cm単装自動高角砲+五式特五二号電探のセットが10基、九六式が3×26、試製六式特五一号電探が1基、五式特三一号電探が1基で最大で直径350km以内の敵機をPPIスコープで表示できた。実験艦ながらも55cmの圧倒的な火力と23秒固定の装填速度、65km/hの高速は非常に強力で、高レートの艦砲射撃で面制圧とともに単艦で複数の艦艇から攻撃されていると錯覚させることや単艦で複数の艦艇を相手に戦うことなどが出来た。アメリカ軍は「もしドレッドノートが開発されていなければ、イシヅチはきっと世界最強だったはずだ」と的はずれな皮肉をし、海軍内でも「最後の前弩級戦艦」や「三笠の直系の子孫」等の渾名が付いた。同型艦は存在せず、名前の由来は西日本最高峰・愛媛県に位置する石鎚山。