髙津 臣吾(たかつ しんご) 日米通算313セーブを挙げた守護神 1990年ドラフト3位でヤクルトに入団。93年から抑えに定着し、サイドスローの守護神として93、95、97、2001年の日本一に貢献。03年には、当時の通算最多セーブ記録を更新した。04年にホワイトソックスに入団すると、同年19セーブを挙げる活躍を見せた。06年、ヤクルトに復帰し、日米通算300セーブを達成。以後、韓国、台湾、独立リーグなどでもプレーした。引退後は、20年よりヤクルト監督を務め、21年にはチームを20年ぶりの日本一へ導いた。 山本 昌広(やまもと まさひろ) 最年長勝利を挙げた、中日一筋32年の200勝投手 1983年ドラフト5位で入団。スクリューボールを武器に、93年には17勝を挙げ最多勝利、最優秀防御率、最高勝率のタイトルを獲得。翌年も最多勝利を獲得し、沢村賞を受賞した。2006年には史上最年長(41歳1か月)でノーヒットノーランを達成するなど、リーグ優勝に貢献。08年に通算200勝、14年には史上最年長勝利(49歳0か月)を達成した。ドラゴンズ一筋32年の左腕投手で、引退表明後の最終登板にて、史上初めて50代での登板(50歳1か月)を記録した。
松前 重義(まつまえ しげよし) 首都大学野球連盟を設立。野球の国際化にも尽力 1946年に旧制東海大学、50年に新制東海大学を開校。52年より理事長、学長、総長などを歴任。51年武蔵野グリーンパーク球場を開設した。64年東海大学をはじめとする7大学で首都大学野球連盟を設立し、初代会長に就任した。ソ連や東欧諸国との民間外交にも積極的に取り組み、モスクワ大学に松前記念スタジアムを寄贈するなど、野球の国際化に尽力した。日本学生野球協会副会長などの要職を歴任し、学生野球の発展に貢献した。