――グロリア合衆国空軍第130戦術飛行隊 滑走路に陽炎が揺れる午後。 F-5E「ヴィーゼル2-2」の機体下に、小柄な影が潜り込んでいる。 オイルの匂いと金属のきらめき、その中で八島はレンチを軽快に回した。 「バイさん、また無茶な旋回したでしょ? 左の主脚、微妙に歪んでる。」 整備服の袖をまくる八島の腕には、少しだけ油汚れ。 声はやわらかいが、目は鋭い。 彼(彼女?)が本気で怒ると、上官も黙るって噂だ。 バイは肩をすくめて笑う。 「悪いな、八島。敵のF-16が挑発してきたんだよ。避けるなんて性に合わなくてさ。」 「はぁ……。あんた、ほんとに戦闘機より危なっかしい人間だよ。」 そう言いながらも、八島の指は丁寧に翼をなでるように動く。 その仕草が妙に優しくて、バイの胸がわずかに熱くなる。 ――なあ、こいつ、本当に“ただの整備兵”なのか? 「ねえ、八島。」 「なに?」 「……俺が帰ってこなかったら、機体のこと、頼む。」 一瞬の沈黙。 八島は顔を上げて、バイの瞳を真っすぐ見つめた。 風が吹いて、八島の髪が頬をかすめる。 「そんなこと言わないで。……帰ってくるまで、整備、サボらせてあげない。」 その言葉に、バイは思わず笑った。 滑走路の奥、夕陽に照らされた機体が、ふたりの影を長く伸ばす。 そして、出撃前のコックピット。 ヘルメット越しに八島の声が無線に届く。 「ヴィーゼル2-2、メモリ。気をつけて帰ってきて。……約束、だよ。」 「了解、グラウンド・エンジェル。」 スロットルを押し込み、F-5Eが大空へ跳ね上がる。 雲の上で、エンジン音が心臓の鼓動と重なった。 その響きは、まるで八島の声の残響のようだった――。 雲間を抜けると、目の前に敵影――F-16の編隊。 彼らのミサイル警報が鳴り響く。 バイの心臓は、まるでジェットエンジンの鼓動と一体化したように速くなる。 「ヴィーゼル2-2、左旋回、回避しろ!」 味方の声が飛ぶ。 だが、その瞬間、機体の警告灯が赤く点滅した。 「くそっ、左エルロンが……効かない!?」 思い出すのは、あの整備場。 八島が心配そうに「無茶しないでね」と言った顔。 あれが、最後の笑顔になるなんて――考えたくもなかった。 煙を引きながら、F-5Eは旋回不能に陥る。 地平線が逆さまに見えた。 耳の奥で、八島の声がよみがえる。 『帰ってくるまで、整備、サボらせてあげない。』 「……ああ、分かったよ。帰るさ。絶対に。」 緊急通信を開く。 「グラウンド・エンジェル、こちらヴィーゼル2-2……応答願う。」 雑音の中、かすかな声が返る。 『……バイ!? どうしたの!? 応答して!』 「エルロン損傷。機体制御、半分死んでる。……でも、まだ落ちてない。」 『脱出して! そんな状態で――!』 「ダメだ。機体、捨てられねぇよ。お前が整備したんだ。最後まで飛ばせなきゃ、パイロット失格だろ。」 八島の呼吸が震える。 無線越しでも分かる。 泣いてる。 普段あんなに勝ち気なのに。 『バカ……バイの、そういうとこ……嫌い。』 『でも、帰ってきたら……その“嫌い”の続き、ちゃんと言うから。だから――帰ってきて!』 ――その一言で、バイの視界が晴れた。 スロットルを最大に押し込み、地面すれすれで機体を立て直す。 煙を引いたF-5Eが奇跡のように水平に戻る。 燃えるような夕陽の中、基地の滑走路が見えた。 「グラウンド・エンジェル、帰還する。整備、頼む。」 『了解……おかえり、ヴィーゼル2-2。』 タイヤが滑走路を叩く音。 そして、静寂。 八島が駆け寄ってきたとき、バイはキャノピーの中で笑っていた。 「な、言ったろ。帰るって。」 八島は唇を噛みしめて、レンチでバイのヘルメットを軽くコツンと叩いた。 「次サボったら、今度こそぶっ飛ばすから。」 「……了解、伍長。」 ふたりの影が夕陽の中に並ぶ。 その間に、F-5Eの冷たい翼が、まるで二人を繋ぐ糸のように光っていた。
口調はキにしないで疲れてるの 病気発症した。これより下は見るな 季節は変わり、戦況は悪化していた。 グロリア合衆国空軍第130戦術飛行隊――かつて栄光を誇ったチームは、いまやわずか数機しか残っていない。 それでもバイは飛び続けた。 そして、その翼を支える八島もまた、毎夜、整備ハンガーで油にまみれていた。 「ねぇ、バイ。もう、飛ぶのやめようよ。」 夜の格納庫、八島の声は震えていた。 「君が飛ぶたびに、私は心臓が壊れそうなんだ。」 バイは少し笑って、彼の額を指で軽く弾いた。 「お前の整備が完璧だから、俺はまだ空にいられるんだよ。」 「そんなの、言葉の使い方ずるい……。」 二人は、ほとんど同時に顔を寄せた。 整備灯のオレンジが、八島の頬を照らす。 小さな吐息の後、唇が触れた。 金属と燃料の匂いの中で、ほんの一瞬だけ、世界が止まった。 ――その翌朝、出撃命令が下った。 敵の爆撃機群が国境を越えた。 第130戦術飛行隊は、最後の迎撃へ。 「ヴィーゼル2-2、メモリ、発艦する。」 『グラウンド・エンジェル、了解……気をつけて。』 風を裂く音。 F-5Eが青空へと吸い込まれていく。 その姿を、八島は静かに見送った。 空は赤く染まり、敵影が次々と現れる。 味方は次々と撃墜され、バイの機体も被弾した。 計器が壊れ、燃料警告が鳴り響く。 八島の声が、無線の奥で叫んでいた。 『脱出して! バイ!!』 「……ダメだ。敵機を通したら、基地がやられる。お前たちが……」 『そんなの、もういい! 生きて帰ってきてよ!』 沈黙。 バイは静かにスロットルを押し込んだ。 炎を噴きながら、F-5Eが敵の編隊に突っ込む。 ――その瞬間、空が白く閃いた。 基地の滑走路。 通信は、もう途絶えていた。 八島は無線を握りしめたまま、泣き崩れる。 涙で濡れた頬に、風が当たる。 その風の中に、かすかな声が聞こえた気がした。 「……整備、頼むな。」 八島は立ち上がった。 震える手で、整備服のポケットからバイのドッグタグを握りしめる。 「バカ……。そんな言葉、いらないのに。」 彼は格納庫を出て、燃える空を見上げた。 そして、微笑んだ。 「すぐ、行くから。」 その夜、敵の第二波空襲が基地を襲った。 八島は避難せず、バイの機体の残骸の前に立ち続けた。 閃光。轟音。 炎に包まれながら、八島の影は静かに空へと消えた。 朝焼けの空。 風が、滑走路をなでるように吹き抜ける。 そこには、焼け焦げたF-5Eの翼の一部と、 ふたつの影が並んだような跡が、残っていた。 ――空は、彼らの記憶を抱いている。 もう、誰も知らない高さで、ふたりは並んで飛んでいる。